小林先生 さようなら
 
 
2017年1月14日土曜日
恩師といえる先生に、誰もが出会えるとは思いません。
そう思えるのは、
学校を終えても折りにふれ
支え続けてくれた先生に自分が出会えたからだと思います。
それは幸運としか言い様がありません。
 
中学校のブラスバンドの顧問だった先生。
寒空の下、同じ思いの教え子たちは
遠ざかる霊柩車を見送りました。
 
小林先生
ありがとうございました。
 
卒業してからも手紙を何回も出してすみません。しかも
「親展」を「『親がひらく』....家族が開いていいってこと?」と
思い込んでいたバカなわたしは
高校生なりに先生のご家族に気を遣い
毎回封筒に大きく「親展」と書いていた....
4年前、「先生を囲む会」で久しぶりにお会いしたとき
本当は謝りたかったけど
恥ずかしくて言えませんでした。
でも
きっともう  忘れておられただろうな
 
 
 
先生も人間だから、いつかは逝ってしまうと 思ってはいました。
そしてその時がきてしまったら
できればあの歌を
みんなで歌い上げられたら、とまで考えていました。
HAYDN - Schöpfung - Die Himmel erzählen die Ehre Gottes
 
3年生の時、先生の音楽の授業で歌っていたハイドンの合唱曲。
意味もわからぬドイツ語に、カタカナをふって歌わされていましたっけ。
 
みなの進路も決まり、あとは桜を待つのみ。
講堂で行われた卒業式の全体予行練習。
「仰げば尊し」を学年全員で歌い終わった時の事でした。
 
何か思いついたように先生は講堂の舞台中央にかけ上がり
みなの注目を集めると
「Die Himmel  !」と突然指揮の構え。
で、
わたしたちは、
楽譜もないのに、
意味もわかっていなかったのに、
ディ ヒンメル エルツェーレン ......
すりこまれたカタカナの記憶を呼び起こし
先生の指揮に吸い込まれるように歌い始めました。
 
その声は、
いつもの40数人の中学生の歌わされている授業の歌声ではなく
180人の厚みを持った立派な宗教曲に聞こえ
歌いながら鳥肌がたったことを、今でも憶えています。
 
 
 
先生をおくる曲として
思いつきは悪くなかったと思いますが
お別れは えてして突然やってくるものだという認識が
スッポリ抜け落ちていました。
 
わたしは歌もクラリネットも上達しなかった。
でも 
先生のタクトが描く軌跡が糸となり
あの明るい3階の音楽室のような大きな繭となり
その中で
音に酔う喜びをエサに小さい蚕にはなれたと思います。
細々とでも
自分の糸を出していけたらと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今も声が聞こえます。
「お前〜どがんしとった〜 まだがんばいよっと?」とか
「かぁちゃん元気しとんさっこ」とか。