叔父の絵本
 
40代で逝ってしまった叔父は高校で倫社の先生をしていました。
晩婚だったので、祖父母のうちへ行くといつもいて、
枕元に一升瓶が常備された万年床に、白いステテコか青いシマシマのパンツ。
「ガハハ」と笑いながら
まとわりつく姉やわたしから逃げ回っていた姿を思い出します。
 
姪、甥へのお年玉はいつも本。
毎年、ひとりひとりに合ったものを
そのキャラクターからは想像できない細やかさで選んでくれていました。
特に9歳の時にもらった絵本は、引っ越しの都度、わたしの部屋の本棚から外れることがありません。
そしてある日、 その本の絵が南仏の風景で、作者がフランス人であることに気が付きました。
 本当に今更ですが 。
仏語の原文版が見たくて、その本を仕入れの旅に連れて行きました。
あちこちで「この本を見た事はないですか?」と尋ねて回りましたが、図書館ですら見つかりません。
聞き込みか親さがしか。
結局その翌年、友人の検索のおかげで、パリの公共機関に収蔵されていることが判明。
友人がプリントアウトしてくれた書類を持って
デファンスの新凱旋門のふもと「CENTRE DE DOCUMENTATION」をたずねることになります。
 
受付で出された書類の記入に手間取ったせいか
「どうしてクチュリエのあなたがこの本を見たいのか、理由が不明瞭」と
受付のマダムはなかなか出してくれません。
たまたま通りがかった上司らしきムッシューに、
「亡くなった叔父さんが...」と説明してもらって
「いいじゃないか、出しておやりよ。」とやっと許可がおります。浪花節は世界の共通語。
画質は良くないけれど白黒コピーもとることが出来ました。
                                    
わたしのポンコツフランス留学よもやま話を
一番興味深くきいてくれたひとは本当は叔父だったかもしれません。
残念ながら、もうその時はいませんでした。
小さいときは金魚のナントカのようにくっついていたわたしでしたが、
思春期と同時に気持が離れはじめ、そのまま送ることになってしまい。
でも本の最後のページの叔父のサインと
叔父らしい新年会の写真は、ずっと大切にします。
 
 
   お葬式に生徒さんが沢山みえるはずだヨ
 
2011年2月5日土曜日