それはまだレコードの時代
「あの人は受験生」「あなたにマフラーを編むために」
 
 学生時代、HATO-POP-POという女子ふたり組で歌っておりました。
西南学院大学・フォークソング研究会で出会った最高の相方は「沼やん」。
YAMAHAのポピュラーコンソングコンテストがまだ華やかに開催されていた時代で、我々が初参加した時のグランプリがあみんの「待つわ」だった...と言えば、何となくトシもバレます。
 地方大会はまずテープ審査。
    「オーディションを受けたら、もの凄く音のいい録音テープを
      ただでもらえる」
そんな質素な動機で、天神「アビーロード」での録音に臨んだふたり。
すでにミュージシャン然としたテクニカルな参加者の中で
「チューナーって...便利そうやね...」と、
ひたすら音叉を膝にうちつけてチューニングに励んだ、身の程をよく知る
ふたり。
 お上りさん的な初参加が、CANYON RECORDからの二枚のレコードの
リリースという未曾有のラッキーを産むなどと、この時こんなふたりが知る由もありませんでした。(そこに至るまでの経過、販促キャンペーン珍道中等については、のちのちブログでお話できればと思っております。)
 
あの日の録音会。参加者のそうそうたる高級ギターが並ぶ中、
ふたりが手にしていたのは、お約束の「YAMAHA」。
世の中のさじ加減が少しはわかるようになった今、振り返るに、
一番の勝因はそれだった、かも。
(ちなみに兄貴から奪ったYAMAHA L10と、20回ローンのYAMAHA L8)
 
 
リリース直後「よかったね」より
先に「題字が演歌」と友人たちから
ツッコミ。
やがてCD時代「オカエリ」
 
ふたりとも無事社会人となり、交流は途切れぬものの、音楽的には
長い冬眠(ハトなのに)期間に入ります。
一年先輩の沼やんは、卒業後保育士さんに、そして三人のこどもの
お母さんに。わたしことうっちゃんは、いわゆる「バブル景気」の
まっただなかの流通業界でひとしきり揉まれた後、アレしたり
コレしたりして今の自分への歩みをすすめておりました。
保育園で、ギターを弾きながら子どもたちと歌っていた沼やんに対して、
わたしといえば、会社の旅行のバスの車中で回ってきたマイクで
「ブルーライトヨコハマ」を熱唱し、「大人しそうなヒト」という第一印象を払拭する程度にしか、歌うことはありませんでした。
 
やがてサークルの仲間も皆30代半ば。
その中のひとりである
「自分の歯科医院内にスタジオを持つ歌う歯医者」Y氏から、
「HATO-POP-POの歌をオリジナルに近いかたちでCDにしよう。」という
ありがたくも無謀な提案をいただきます。
冬眠から叩き起こされたハトたちは、さあ大変とリハビリに取り組みますが、
ギターの壁だけはどうにもこうにも高い....。(我々のスーパーローギターテクについては、西南フォーク研サイト内のアルバム評をご参照ください....。)
結局Y氏が、当時の演奏をコピーしてすべて弾いて下さり、
1997年12月、Y氏の数ヶ月に及ぶ自由時間と睡眠時間をもぎとるかたちで
アルバム「オカエリ」が出来上がりました。
 
ここに改めて、Y氏と、それから
Y氏にこれだけのパワーを授けてくれた
亡き渡辺真也さんに、心からお礼を言いたいと思います。
 
西南フォークソング研究会 →
 
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以前、フォーク研サイトを通して「オカエリ」をお分けした方が、リリース された楽曲(「オカエリ」を含めてほとんど)をYouTubeにアップされたようです。ここでわたしがこう言うのもどうかと思いますが、興味のある方は聴いてみて下さい。(苦笑)