やがてCD時代「オカエリ」
ふたりとも無事社会人となり、交流は途切れぬものの、音楽的には
長い冬眠(ハトなのに)期間に入ります。
一年先輩の沼やんは、卒業後保育士さんに、そして三人のこどもの
お母さんに。わたしことうっちゃんは、いわゆる「バブル景気」の
まっただなかの流通業界でひとしきり揉まれた後、アレしたり
コレしたりして今の自分への歩みをすすめておりました。
保育園で、ギターを弾きながら子どもたちと歌っていた沼やんに対して、
わたしといえば、会社の旅行のバスの車中で回ってきたマイクで
「ブルーライトヨコハマ」を熱唱し、「大人しそうなヒト」という第一印象を払拭する程度にしか、歌うことはありませんでした。
やがてサークルの仲間も皆30代半ば。
その中のひとりである
「自分の歯科医院内にスタジオを持つ歌う歯医者」Y氏から、
「HATO-POP-POの歌をオリジナルに近いかたちでCDにしよう。」という
ありがたくも無謀な提案をいただきます。
冬眠から叩き起こされたハトたちは、さあ大変とリハビリに取り組みますが、
ギターの壁だけはどうにもこうにも高い....。(我々のスーパーローギターテクについては、西南フォーク研サイト内のアルバム評をご参照ください....。)
結局Y氏が、当時の演奏をコピーしてすべて弾いて下さり、
1997年12月、Y氏の数ヶ月に及ぶ自由時間と睡眠時間をもぎとるかたちで
アルバム「オカエリ」が出来上がりました。
ここに改めて、Y氏と、それから
Y氏にこれだけのパワーを授けてくれた
亡き渡辺真也さんに、心からお礼を言いたいと思います。