「取っ手がモゲる」から「女の行方」まで
 
準備万端と思われたフランスへの出発の朝、コトは福岡空港で起こりました。
「は〜い、お気を付けて〜」と、運転手さんが
タクシーの後ろからヨッコラショと出して渡してくれたわたしのトランクの取っ手は
わたしが「どうも〜」と受け取った途端モゲました。
ちょっとだけ出ていたネジの先端が見えたのか、運転手さんも
「....そりゃ中から締めないかんですな」      としか言いようがないでしょう。
かろうじて付いている取っ手で、舵をとるように不安定にトランクを転がしながら、
わたしの脳裏には
この「旅の相方」と、フランスで歩く(押す)石畳や坂道そして
しばしば故障で「階段」と化している各駅のエスカレーター(しかもはじめと終わりが気持ち悪い)が
一瞬の内にグルグル映し出されていました。
有り得ん。この状況での旅は絶対ありえん。
人目もはばからず空港ロビーでトランクをおっぴろげ(「開き」なんて上品なもんではない)
その問題のネジの部分を確認。  手触りでは 作りは単純そう。
ここは頼りになるあのコの出番。
小さいのに、ほんっとに役にたつスイスクトーです。これで布を裂きましょう!
 ネジ頭出現。そしてそのまま締める! ..... 任務完了....。完っ璧...。  
思いました。
それはあたかも孤独なジャングルで
蛇に襲われ  自分で手当したような  まさにそんな感じ。
 
 
さて、ところかわってジャングルからご近所のお友達夫婦のおうちへ。
つい先日のことです。晩ご飯をおごちそうになりながら、
「いい女のバッグは小さい」という興味深い話になりました。ナゼ興味深いかというと、
「鞄の大きい女は(嫁に)行き遅れる」というまさに「表裏一体説」を
該当者として納得していたからです。
  なんでもいい女は、困った時には周りのひと(多分に男)が動いて何とかしてくれるから、
自分は必要最低限のものさえ持っていればいいとのこと。
いい女の必要最低限.....化粧品と携帯.....極端な話、お財布なんて要らないのかも。
かたや
他ページにも書きましたが、わたしは幼稚園児の頃から心配性。
こどもにしては大きいバッグに「オールナイトで遊ぶのか」と突っ込まれそうなぐらい
遊び道具をパンッパンに詰め込んで、友人宅へ出掛けておりました。
何をして遊ぼうとも対応出来るように......と思っていたのでしょう。
しかしひょっとしたら....と気にかかる出来事。
入園一日目の工作の時間、早速困った状況に陥ります。が、
「太っているから」という理由で、 助けてもらえなかったのです。
さしてかっこよくもない男の子に(やつあたりです)かわいこちゃんと明らかに差別されて
翌日登園拒否するほど悲しい思いをしました。その時に
「自分の身は自分で守るのじゃ」という神様のお告げを受けたやもしれません。
いや、確かに、今思い返しても、神様は
「もーちょっと痩せて可愛くなってさ〜、あの男の子、あごで使っちゃえばいいじゃ〜ん」とは
おっしゃいませんでした。その道もあったのに。いや、まさにその道こそ
「小さいバッグの女」への道だったのに。
部屋の高〜いところに釘を打つとき、ナゼわたしは中国雑技団のように椅子の上に椅子を乗せ
その上に乗って成し遂げてしまうのか。誰かを呼ぼうとも考えつかず。
あの日の空港でも、ナゼわたしは成し遂げてしまったのか。
「小さいバッグの女」は、あの場面なら、誰かに泣きつかねばならないのに。
 
神様が遅ればせながら植えて下さった苗を
わたしは嬉々としてスイスクトーで刈り取ってしまったのです。
 
 
「あっこさんのバッグって ....」と、話がわたしの日常バッグに及んだとき
ほぼ同時に三人が思ったのは「釣りのカゴ」。
それはいわゆる「びく(釣った魚を入れるカゴ)」を加工したようなバッグで、
かれこれ20年ぐらい使っています。
あれに至ってはもう、「大きい」とか「小さい」とかいうレベルではありません。
論外の外をさらに1km先へ。
 
「論」の外へはみ出したわたしは
釣りカゴをさげて、スイスクトーを持って、いったい一人で何処まで行くのでしょうか。
 
p.s.
  何の打算もなくごくごく自然にバッグが小さくなるのが「本物」なんでしょうね〜(既にひとごと)。
 
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2009年7月3日金曜日
今回の主人公